よっぴースペース

日本で働きたいインドネシア人看護師と出会った話

こんにちは、よっぴー(@YOPPIE92)です。

突然ですが皆さん、日本で活躍している外国人看護師・介護福祉士がいるってご存知ですか?
そんな制度があるということは以前から知っていたのですが、実際に身の回りで話を聞いたことはありませんでした。

今回は、スラバヤ・マランを旅していて出会った看護師、日本で働きたいと今年初めてこの制度に挑戦したIkhsanのお話です。

Ikhsanとの出会い

先日、東ジャワのスラバヤを観光した後にマランという同じ東ジャワの街に行ってきました。スラバヤから電車で約二時間の街です。

ここでも同じく、カウチサーフィンで宿探し。
マランではカウチサーフィンユーザーが社会人サークルのようによく集まっているようで、日本人ならぜひ彼に会ってあげてほしい!絶対に喜ぶから!と紹介されたのがIkhsanでした。

日本が大好きで過去四回旅行に行っている、看護師として五年働いてきたけれど今は日本で看護師として働きたいと思って、日本語を勉強しているとのこと。
すぐに経済連携協定のことが頭に浮かびました。

カウチサーフィンで知り合ってお茶をしたメンバー、一番右が今回お話しするIkhsanです。

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EPA外国人看護師・介護福祉士候補者受け入れとは

この制度は、日本とフィリピン・ベトナムインドネシアとの間でそれぞれ結ばれている経済連携協定のひとつの取り組みです。

ざっくりいうと、各国の看護師・福祉士が日本で看護師・介護福祉士として働けるチャンスがあるよーというもの。
候補者として受け入れ、日本語のサポート、国家資格の取得のサポートをしつつ、受け入れ機関の雇用の下、お仕事をするものです。

日本滞在中の諸々の研修費・それに関する滞在費は受け入れ機関が負担とのこと。日本で働いてみたいという人たちには魅力的にも見えるかも?
それよりも、日本側の労働力欲しさが見え見えである。。

応募について(インドネシア

今回さがした資料では見つからなかったけれど、どちらも彼曰く上限は応募時点で35歳だそうです。
この制度はフィリピン・ベトナムインドネシアの三か国と協定が結ばれており、応募条件等が若干異なるので今回はインドネシアに絞って調べてみました。

看護師

介護福祉士

プロセス

  • 選考・各病院とのマッチング
  • 日本語研修@ジャカルタ(半年)
  • 日本語能力が十分な場合にはスキップ
  • 研修@日本
  • 病院での就労

滞在期間は看護師は3年間、介護福祉士は4年間です。その間に日本の国家試験に合格すれば、その後も日本人の看護師や介護福祉士と同じように日本で働けるし、翌年も受験して不合格であれば帰国。

国家試験は勿論、日本人の看護学生などが受験するものと全く一緒。日本語で受験することになります。
日本人にだって難しい専門用語ばかりだろうに、それに挑戦するなんて尊敬の念しか湧きません。

受け入れ状況

当初は年間最大人数200人との制限の中、初年度(平成20年)と翌年は100人以上がインドネシアから看護師候補者として渡航

今年まででインドネシアから看護師候補者は計653、介護福祉士候補者は計1792。毎年10人以上が日本の看護師試験に合格、約40人以上が介護福祉士に合格しているそう。
日本語で受験して合格してるわけですよ。すごくないですか!?

看護師や介護福祉士は、日本人の中でも体力的にハードなお仕事のイメージがありますよね。合格後、その中で今も働いている人はどのくらいいるんだろうか…?

Ikhsan初めての応募

看護師になった理由

平成20年から始まったこの制度、現在33歳の彼はこれが目的で看護師を目指したわけではありませんでした。

そもそも看護師になった理由を聞いてみると「本当は観光について学んで就職したかったけれど親が言うから」との理由だそうです。
家族を大事にする文化の中で、親の意見を尊重することは珍しいことではありません。
だけれどちょっと彼は未だに、看護師という選択を親に決められたという感情を残しているようでした。

応募前、親への相談

今年でIkhsanは既に33歳。
応募条件を考えると来年もしくは再来年がラストチャンスになります。

今までずっと親に反対されていた日本行き、今年ようやく親から許しがあって応募に踏み切ったそうです。

結果

ジャカルタでの受験内容は、試験と書類審査と面接。

面接の前、周りは明らかに緊張している中、「私は日本が大好きだから大丈夫」と何も用意せずに思いのたけをそのまま伝えたという面接。
その結果は不合格でした。

面接の内容

来年の参考にしたいからとアドバイスを求められ、面接の内容を聞いてみました。

面接官「なぜ日本で働きたいんですか?」
Ikhsan「私は日本が好きで、四回も観光に行きました。日本に住みたいと思っています。将来、国家資格に合格した後には家庭を持って、日本で定年まで働きたいです。」

えええ、正直それは落ちるよねっ思ってしまいました。
だって、日本に行きたいとしてもそれって観光で行ってるならそれでいいじゃん。この制度を利用しなくてもいいじゃんってなってしまいますよね。

本人にこの点を指摘し、こういったら良いんじゃないの?と下記の点を伝えてみました。

  • 日本でこれから増える外国人人材の医療問題を支えたい
  • 日本の医療の技術・知識を学んで、インドネシアに持ち帰りたい

思い付きの意見でまだまだ内容は浅いですが、誰かに貢献したいという意思が入っています。しかし、「じゃ私が日本にずっと住みたいという気持ちをよっぴーは否定するの?嘘はつきたくない!」と言われてしまい、お手上げでした。

良かれと思って伝えた意見でしたが、伝え方が悪かったかなあ。

彼と話して気づいたこと

仲間を増やすために目的は深く・広く考える

今回の場合、彼が言っていた志望理由はあくまで自分が日本に行きたい理由であり、この制度を使って看護師として働きたい理由としては弱かったように思います。

「なぜ自分がこれをしたいのか?」、それは理屈で片づけられるものではありません。
私のインドネシア行きだって綺麗な理屈やストーリーがあるわけでもない。
けれど誰か仲間を巻き込む・増やすには熱意は勿論のこと、目的をきちんと言語化しようと気づくことが出来ました。

これをきちんとIkhsanにも伝えたかったけれど伝えきれなかったのが悔しい。

周りに何を言われても決めるのは自分

人生は選択の連続です。
会社からの異動やら家族からの強制など、自分で望んでいない選択をすることもあるかと思います。

今回の話で言えばIkhsanは看護師という仕事を選んだことであり、私の場合で言えば大学受験の時に地元の大学を選んだことです。
それでも、周りの言葉に影響を受けても受けなくても、最終的な判断は私がしたんだと納得感を持つことがとても大切です。
地元に進学するきっかけは親からの言葉でしたが、選んだ当時から今まで後悔はしていませんし、むしろ誇りに思ってます。

Ikhsanは今も「親が望んだから看護師を目指した。親が認めてくれなかったからこれまでは受験できなかった」と言っています。
それは本当だと思うけれど、「親にも賛成してもらったうえで応募したい」など無意識の中に、看護師になる・受験しないという選択をすることに納得するポイントがあったんだと思います。

それでも家族の事情は千差万別です。
もしかしたら私は想像する以上に家庭の中で強制力が働いていたのかもしれません。そこまでは今回聞き出せなかったです。

よっぴー的感想

なんやかんやと批判するような内容になってしまいましたがそんな気は一切ありません。

Ikhsanの日本へ行きたいという気持ちは本当だと思うし、受験したという選択には本当に尊敬しています。
日本で働く外国人・外国で働く日本人はどんどん増えていくと思うので、彼のような看護師という存在が社会を支えるのは間違いないでしょう。ぜひ合格してもらいたいです。

そして、ありがたいことに私たちは選べる自由がどんどん増えています。
週5で会社に通わなくても働ける選択肢がゴロゴロと転がって見えるようになりました。
会社の辞令のようにどうにもならないこともあるかもしれない。でもそれは自分の意識または無意識の中で優先順位があって、その中から決断するんだと思っています。そのタイミングで、自分が選んだという自分事にできないと苦しいなというのが今回かんじたところです。

私が言っているのはきれいごとかもしれません。養わなきゃいけない人もいないし、背負っているものもないから。

それでもこれだけたくさんの生き方が転がってるんです。
選択肢が増えた分、正解もロールモデルを見つけることも難しくなってきました。
私は今そこで迷っている途中です。

「知らない」「わからない」から不安になるので、何が不安なのか何が好き・嫌いなのか、時間が許す限りインプットとアウトプットをすることで自分の選択肢をリアルなものにしていきたいと思います。

おわりです、さんぱいじゅんぱ。